2016年5月24日火曜日

不要な昭和ノスタルジー


これは実は、満を持して書きたい事であったのだがそろそろ良いかと思う。

私は80年代後半から90年代前半のバブル期に小学校、中学校の少年時代を過ごしたた世代である。

当時は働けば働く程お金が儲かったし、頭の良い人は働かなくても儲かった時代でもある。当時の教育といえば、一流の大学を出て一流の会社とか高級な公務員に就職すれば、一生安泰な生活が送れる。だから「頑張れ」といった風潮であった。「塾通い」というのが社会現象になったのもこの頃である。ちょうど私世代がいちばん大学入試的に競争率が高く、今では、三流、四流といった大学でも、なまじ現役で入る事は難しかった世代である。

そういった中、その流れに乗れない子ってのも出現し、不登校(当時は登校拒否)といった言葉が出はじめた時代。ちなみに、関東においては、荒れる学校とか暴走族とかいった世代は我々より若干上である。

全ての事は「お金で解決できる」という神話の時代だったから、年間で数千万、億単位の「収入」がある人はそれこそ、教育や家庭内のしつけまでお金で解決してきた人もいる。

そういった世代が40歳前後と、社会の主力となった現在。再び形を変えて問題が顕在化してきている。最近、色々な人との付き合いがあるのだが、とある資産家の息子を預かっているという人の話を聞いた。歳にして40くらいのようであるが、やはりお金で解決するタイプの教育を受けた人らしく。親のいう事を聞かなくなったらしい。突っ込んでは聞かなかったが、引きこもっているのではないのかと思われる。親の会社で働けばそれこそ、金には不自由はしないのであるが、「そんな所」には活路を見い出せないのであろう。現在、1か月8万円のバイトで自立生活をする事からはじめている。徐々にであるが、金額を引き上げて行って、親の会社で働けるようになれば良いのだが。という事のようであるが。

時代を平成一桁まで戻すが、私たちは、昭和から平成へと元号が変わった頃に中学校に入った。「ゆとり」世代を生んだ元となった「競争世代」であり、ちょっと足を踏み外して、競争から脱落してしまうとそれは社会からの落伍者の烙印を押された時代であった。ちょうどマラソンのスタート段階で転倒してしまい。次々に追い抜かれ、はじかれて路上で転がってしまい、まだ長い道のりで出遅れてしまい、上位争いはおろか、中流争いにさえ取り残されたような失望感を味わうものである。

私の場合。個性が強烈に強いので、小学校までは、それが良いベクトルに働いていたが、中学校に入ったとたん上手くいかなくなった。何が駄目というと色々な要素が複合していたのであるが、成績第一主義で、個性というものが尊重されない流れの中で、学校生活そのものも、脱個性の「軍隊」という表現はまだマシなほう、「刑務所」かのような雰囲気に馴染めなかった。

そして、嫌だったのが「部活」。なぜか運動部に入らなければならないような雰囲気。宅八郎が登場し、「オタク」といった言葉が流行り出して、趣味の世界に極端に傾向する人たちを、今で言う「キモい」という風潮であざ笑っていた時代である。

であるから、運動ができない>文化部>キモい>落伍者みたいな風潮があった。

そんな中、最初は体裁を整えて、某運動部に居たのであるが、馴染めず、サボるようになり、かといって文化部に転向する勇気もなく。次第と部活をサボりまくって、部活が終わる時間を待ってから帰るようになった。しかし、それが、親にバレてしまい。今度は学校へ行く事、そのものが嫌になった。今度は仮病を使いまくり、結果、先生が家に迎えに来た。親も先生も、なぜか泣いているのであるが、泣きたいのはこっちである。ここまでレベルが進むと虐められるようになる。もう最悪であった。


そこから脱却するきっかけを与えてくれたのが、文化部との出会いであった。部員1人。顧問1人の部活であったが、同じように運動部に馴染めなかった子と一緒に、「高校進学のためにいちおう在籍だけでいいからしておきなよ」という誘いで渋々に近く入ってみた。

しかし、実際に入ってみると、なんだろう、今の趣味とは全く別物な部活であったのだが、こういう居場所があるのだと。嬉しくなり、中学校に入った頃、文化部を歪んだ目線で見ていた自分が恥ずかしくなった。結局、結果は大した事はしなかったのであるが、顧問の計らいで、書類上はよくしてもらい、何故か中学校3年生の1年間という時間は有意義に過ごす事ができた上に、進学校とカテゴライズされる高校に行くことができた。そしてあり得ない事に、後で知った事だが、そのキモさが後輩の女の子にモテていたらしい。

高校は、部活動が盛んな学校だったので、文化部のラインナップが豊富であり、そこで現在に繋がる芸術性というか個性が炸裂したのであるが。世間的にみればオタクなのであるが、感覚的には、それを超越しているというか。なにしろ炸裂した高校時代を過ごした。個性を大事にする校風wで、卒業生というものは現在でも感覚的に分かるほどである。そして、今度はガチで、女の子にモテて、非常に美味しい思いもした。今思えば、キモいだけの存在から、時代の一翼を担う事になる、現代へ通じるヲタクマンパワー開花の時代である。いちおう、言っておくが、キモい事を自認している人たちにキモいというのは意味のない事である。


さて、比較的、現在に近い事は抽象的に書きたいのであるが、何らかの理由で、不登校であるとか、仕事ができない人は、多くの場合、決してサボっているのではなく、何かを見失っている事が多い。「うつ病」といったステージに進まないまでも、社会的に、落伍してしまった彼らに「頑張れ」と言うのは禁句である。ましてや「学校へ行け」とか「働け」というのは殺人行為にも等しい。

ここまでで「そんな事当たり前だ」と思った人は私の言わんとしてる事が分かってるだろうし、分からない人は「うつ病」「引きこもり」とかいったワードでググった方が良い。それで、理解できないとか、甘えだとか思ったなら、時代ではないから、教育者とか親とかだったら、危ないので、自分の子供、配偶者の先行きに気を付けた方が良いだろう。

まぁ私の場合、ヲタクマンパワーを炸裂させる事で、本来的な部分の元気を取り戻して来た経緯がある。本当に、今は情報が豊富な時代だから、色々な事にプロより詳しいアマチュアが増えて驚異的な時代である。いや、様々な分野において、儲けなくて良いというアドバンテージをもってアマチュアはプロを凌駕している。自分は農業、とりわけ、園芸関係の仕事をしているが、いわゆる、ガーデニングにハマってしまっている女性など見るに、「真性ヲタク」であると思う。我々でも知らないような、宿根草が無いのかと?そりゃ「無ぇよ。」と言いたい気持ちを押し殺して「分かりません」と答えるのがプロであるが。

そこまで言った部分で、人生において疲れている時に、趣味というものは次のステージへ立ち上がるきっかけを作ってくれる事もある。仕事はできない、でも趣味はできる人の事を、最近、「新型うつ病」とカテゴライズするが。これはごく自然な事であり、最近注目されるようになっただけで、多分昔からある事だろうから、あまり「新型」という言葉はどうかとも思うが。学校へいけなくなった、仕事へいけなくなった、からといって、それまで楽しんでいた趣味までやめてしまうと、悪化する可能性がある。本業に折れてしまった事をきっかけに趣味を見つける場合もある。

つまるところ、言わずもがなといった事。「いちいち言う人」の考えとは逆である。


まぁ、何しろ昨今、喜ばしいのは、ヲタクとか、マニヤといった言葉を堂々と使えるようになった事である。あの平成一桁の時代では考えられない事である。少々過激になりすぎている気もしないでもないが。ただ、我々が注意しなければならないのは、まだまだ、「考えが昭和」な人が多く、下手をしたら火傷するという事である。

全く心底、疲れるとはこの事であるが。彼らは、時代に落伍して取り残されているのは自分たちであるという事に気づいてないようである。

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