2015年8月16日日曜日

幻の鉄道建設公団AB線 ~道北の未成線~ 興浜線(2)

リメイク_リバイバル_アーカイブス
 この記事は1998年8月に取材されたものです。
取材1998年8月 ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
 ~道北の未成線~
 興浜線(2)





建設の経緯

  興浜線は釧網本線、湧網線、名寄本線、興浜線、天北線と繋いで、オホーツク海沿岸を縦貫するルートのひとつであった。実際に営業されていた興浜線は浜頓別-北見枝幸間の北線と興部-雄武間の南線に分かれていて、最盛期の路線図を見るとオホーツク海沿岸のルートは興浜南線の雄武と興浜北線の枝幸の間だけが途切れている事が分かる。

  興浜線は北は天北線の浜頓別、南は名寄本線の興部から伸びるかたちで、興浜南線(興部-雄武間)が1935年(昭10)に、興浜北線(浜頓別-北見枝幸間)が1936年(昭11)それぞれ開業していた。残る興部-北見枝幸間は戦後の昭和41年に鉄道建設公団のAB線として、雄武方から着工され、雄武から枝幸町の西音標までの区間で路盤が完成した。しかし昭和50年代に入ると既開業区間もいよいよ存続を危険視されるようになった。(ちなみ未成線区間の輸送密度はだいたい600人日/キロであるとされ、シリーズ1作目の岩日北線とほぼ同じである。)そういった状況下で昭和55年を迎え、当然のごとく建設が凍結されてしまった。また既開業区間も第1次特定地方交通線の指定を受け、南線、北線ともに1985年(昭60)7月に相次いで廃止され、バスに転換されてしまった。廃止にあたって三陸鉄道のように未成線区間を完成させて第3セクターのオホーツク本線とする構想もあったが、地元負担が大きく実現には至らなかった。


 

廃線をみながら


紋別の先で見た名寄本線の廃線

序章で述べたとおり、取材した日は北見に泊っており、7時ごろに北見を後にした。しかしざっと見積もっただけで枝幸までは200Km近くもある。未成線の遺構を見つける度に車を止めていては、枝幸に着いた段階でお昼過ぎになってしまい、美深で打ち止め、名羽線へは行けない公算が強い。昨日のうちに少なくとも紋別あたりまで移動しておけばよかったと後悔するが全てが遅かった。

  北見を出て、国道333から道道685を経由してサロマ湖方面に抜けた。サロマ湖を見ておきたい事もあって、東側のルートを取ってしまったが、距離的には留辺蕊、遠軽、湧別と抜けるかつての名寄本線ルートの方も面白いかもしれない。距離は大して変わらない。

200Kmという距離は時速70Km/hぐらいで走れば3時間。スピード違反をして100Km/hで突っ走れば2時間で着いてしまうだろう。北海道、特に道東、道北に来て驚いたのは全く走り方のスタイルが違う事だ。町と呼べるものは20Km~30Kmごとに並んでいる感じで、町と町の間の信号は「全くゼロ!」。市街地以外はほとんど追い越し解禁の白い点線のセンターライン。国道と道道の主要な交差点でさえ一時停止の看板が立っているだけの始末である。であるから当然に地元の車は速い。

北海道に来た初日に夕張と浦幌のあたりで速度取り締まりをやっており、危うく難を逃れた経緯があり、法規を守るような速度程度で走っているとあっという間に後ろにつかれ抜いていく。だいたい見るからに、100Km/hが標準といった所か内地では、有り得ない。まぁ、ここは我慢の子で。迫りくる後続車は、なるべく先に行かせて、耐える事にした。

  サロマ湖から先は国道238号を走る。この国道がまた一直線でやたらと速度が出る。ところで、この国道、名寄本線とも沿っていたはずである。川を渡る際に山側に気を付けていれば、突然廃橋が現れたりする。紋別の先で名寄本線の橋脚等を発見しながら、10時前に興部に着いた。かつての興浜南線はここから分岐して北へ伸びていた。興部駅跡は何処かと市街地を見てみる事にしたが、資料がないためさっぱり見当がつかない。何か手がかりはないのかと、とりあえず道の駅(道の駅おこっぺ)に寄ってみる。

  さて、この道の駅、噴水に前にD51の動輪が置いてあったり、ライダーの宿泊に使える気動車が置いてあったりで、どうも駅だった臭いがする。建物の反対側に回って見ると何と名寄本線の転換バスのロータリーになっていた。「これは」と思い近くで犬の散歩をしていた人に聞いてみるとまさしくここが興部の駅だったとの事。なるほど併設されている町の施設の入口の横に「思い出の興部駅舎」と書かれた名盤が置いてある。



  興部を出ると国道はいよいよ興浜線と並走するようになるが、まだここは廃線。未成線の区間に入るのは雄武から先である。この廃線区間も左手に橋脚や築堤を見る事ができる。

雄武に着いてからもまた駅跡地を探すのに苦労した。とりあえず興部がそうだったからと雄武でも道の駅に寄ってみた。だいたい元が駅だったところはなんとなくオーラが出ているものだ。町の中心にあってやけに用地が広かったり、町外れに位置するタイプでも、なぜか一本道があったりするものだ。ここの道の駅「道の駅おうむ」も市街地にあってやけに用地が広い。そして、その姿にギョッとした。


「なんじゃこのタワーは。」

  UFOを思わせる大きなタワーが建っており、雄武町地域交流センターと書かれている。その中に入って行くと観光案内所のような窓口があっり、ご婦人が暇そうにしているので興浜線について聞いてみた。それによるとやはり、ここが雄武駅の跡だとの事。では昔の駅舎はどうなったのかと聞くと、この交流センターは去年(1997年)に完成し、いつかは分からないが昔の駅舎はかなり前に取り壊されて長らく更地だったようである。さらにこの先に建設途中で放棄された興浜線のトンネルもあると付け加えた。



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